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自転車好きの工作好きです
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    20141012 姫路市営モノレール






    姫路駅-手柄山駅間 営業キロ1.63km 途中駅 大將軍(開業2年で廃止)
    手柄山をメイン会場として開催された姫路大博覧会(1966.04.06-1966-06.05)の輸送機関という名目で1966.05開業(用地問題、台風・集中豪雨により工期遅れとなった)。
    さらに先の臨海工業地帯、市内網の充実、また北は日本海側の鳥取まで延長する壮大な構想があった。
    開業8年後の1974.04休止、1979年正式廃線となった。
    廃線の理由はいくつかあったが、
    ①営業区間が短く利用価値がない。姫路博終了後は利用者が激減。
    ②平行する山陽電鉄やバスに比べて高額だった。
    ③メーカー(ロッキード)がモノレール事業から撤退し補修部品の供給が断たれた。
    などが主だったところ。
    当時としてはかなり高性能なシステムだった。たとえば桁の上に敷設した鉄製のレール上を走るため、小径の鉄車輪が使え室内床面がフラットになり設計最高速度は160km/h、車体はアルミ合金製で軽量。川崎航空機(現・川崎重工岐阜製作所)で製作された。現代にも通用する部分も多くあるのに残念だ。ただし、騒音に関してはゴムタイヤには及ばない。
      
    ◆◆◆
    なぜ姫路モノレールなのか?
    私的なことだが、遠い昔に乗車したことがある。夏休みの家族旅行で兵庫県相生の国民宿舎あいおい荘というところに行ったことがある。その後国民宿舎は売却されて、現在は民間のホテルになっているようだ。移動は往復新幹線を使った。山陽新幹線が岡山まで開業したのが1972年3月なので、1972年か1973年の夏のことだった。小学四年か五年の時だ。当時はカメラなどという高級品は所持してなくて写真の記録はなく、色褪せた記憶だけが少し残っている。
    旅程は、あいおい壮で一泊か二泊して海水浴、帰りに姫路で途中下車して姫路城を見学、さらに時間が余ったから手柄山にある姫路水族館にでも行こうというものだったと思う。そこで姫路駅から往復モノレールを利用した。カーブの傾きが怖かったのと、ガラガラに空いていた思い出がある。
     
    それから30数年後の2007.06、仕事で兵庫県の赤穂に行く事があった。初日は午後から移動して現地入りだけだったので、何となく気にかかっていたモノレールがどうなっているか見たくなった。その日は姫路駅に17:40降り立って、日が暮れるまで廃線跡をたどって歩いた。
      
    さらに数年経ったある日、手柄山駅に眠っていたモノレールの車両が整備して公開される計画を知った。そして2011.04からモノレールの歴史・資料などが展示公開されることとなった。
     
    1966.04.06 (姫路大博覧会開幕)
    1966.05.17 開業
    1966.06.05 (姫路大博覧会閉幕)
    1968.      中間駅大將軍廃止
    1972.03    (山陽新幹線 岡山開業)
    1974. 日本ロッキード・モノレール社解散
    1974.04.11 営業休止
    1979.01.26      正式に廃線決定
    2008.02    手柄山駅建物を耐震補強したのち車両の一般公開を決定
    2009.10    車庫にあった一両をホームに移設させるために外に出される。
    2009.11.15 外に出された車両一両が一日だけ公開される。
    2011.04.29 モノレール展示室の一般公開開始


    ◆◆◆
    2014.10.12 改めてモノレール車両の展示、遺構を半日かけてみて回った。

    東京駅を9時前の新幹線で出発すると、姫路には昼前に到着する。所要3時間と5分、自宅から667.5km離れた地点へ1分とたがわぬ正確な時刻に到着できるというのは、いつもながら感心する。
    朝食は列車内で「シウマイ弁当」を食べ、姫路では名物と言われる「駅そば」の昼食をとった。
    観光案内所でレンタサイクルを借りた。延長1.6kmと短いので徒歩でも十分なのだが、帰りのことを考えて楽な方を選んだ。今回借りたレンタサイクルは、「観光レンタサイクル」と言う無料のものだった。姫路には「姫ちゃり」というもっと便利だが費用の掛かるレンタサイクルもあるようだ(期間限定)。

     
     
     

          (※ スマホで見ると回転している画像があります)
     
     
    ◆モノレール姫路駅付近
    JRの北側少し離れたところに平行に設けられた。これは仮設であり、路線延長時にはJRに隣接させる予定で用地も確保してあった。だがそれは叶わなず、仮設のままの簡素な駅舎で最期を迎えた。現在跡地は神姫バスターミナルおよび山陽百貨店となっている。

    自転車でルートを辿って走り出すとすぐに、桁を撤去された橋脚が目につく。それも建物から煙突のように生えているものがある。実際は橋脚が先に出来、それを取り囲むように建物(商店)が作られたという。桁(多くはコンクリート製)は落下の危険のため撤去されているところが多いので、橋脚だけ空に向かて突き出ている。


        



    ◆大將軍駅
    その先が唯一あった途中駅の「大將軍」駅跡だ。駅跡というより今でもビルの中に存在している。
    駅名の由来はこの地の字名からだという。1・2階が商用施設、3・4階が駅、5-10階が住宅になっている。モノレールの軌道がビルを貫いているという、現代でも斬新で衝撃的な建物だが、姫路駅から450mと近かったために駅としての機能は営業開始後2年間という短命に終わった。ここが姫路モノレールを代表する景観となっていることが何とも皮肉だ。高層部は現在も賃貸住宅になっているが、2015.05以降取り壊すことになっている(実施されるかは不明)。

      

        



    ◆船場川沿いの軌道
    大將軍駅を出ると右に90°近く曲がり、船場川と並行して走り、山陽新幹線・JR山陽線と交差する。山陽線はモノレールが上を跨ぐが、新幹線との交差は下をくぐっている。新幹線のほうが後から出来たからとも言われている。実際にモノレールと新幹線が立体交差したのは2年間だけだった。
    この辺りは桁も多く残っている。橋脚や桁に蔦が絡まっている部分もあった。船場川付近は立地的な問題から膨大な撤去費用が見込まれるので、なかなか手が出せないと聞く。



        



    ◆船場川-手柄山
    この区間には軌道の痕跡は見いだせなかった。



    ◆手柄山駅
    モノレールの軌道は船場川を離れた後、市街地から頭をもたげ手柄山の中腹に刺さるように敷設されていた。刺さったところが駅であり、現在車両の展示されている部分である。当時軌道はその先で手柄山を突き抜け、ポイントでスイッチバックして駅の隣に作られた検査区まで延びていた。検査区は現在水族館の一部となっている。

     





        



    ◆手柄山
    姫路大博覧会のメイン会場となった場所である。そののこと自体は知らないが、50年近く経った今でも当時の面影をを色濃く残しているのではないか。小高い山で地形を生かして公園になっている。西洋のお城のような景観や展望台などそのまま残っており昭和レトロを楽しめる。展望台は現在回転レストランとなっており一周14分で床が回る。今回は2周・30分ほどかけてお茶などを頂いた。

        

    手柄山から望遠レンズで白鷺城を望む


    こちらに向かってくる軌道が見える




    ◆◆◆
    いろいろと調べてみると、ここ10年くらいでかなりの桁が撤去された模様である。これは老朽化のため落下の危険があるので致し方ない。それでもまだ橋脚や一部の桁は残されているが、少しずつ撤去が進んでいるのも事実である。やがて失われていく運命なのであろう。

    西からやってくる大型台風に急き立てられるように逃げ帰ってきた。
    もう一度訪れる機会はあるのだろうか?




    PS.

    その晩は姫路を後にして大阪・堺に移動して宿泊した。翌日は昼過ぎの新幹線の指定を取ってあった。シマノの自転車博物館に寄るつもりで、そのための堺泊でもあった。大型の台風19号が迫ってきており、JR西日本は夕方から在来線全線で運転を見合わせるというアナウンスが流れている。自転車博物館は台風のために臨時休館となった。予定を前倒しして早めに百舌鳥から新大阪に向かった。風は強いものの、雨に降られることはなかったが、雲はすごい勢いで流れていた。新大阪駅は多くの人でごった返しており、早い出発時刻への変更もできずに指定を取った列車を待った。楽しみしていた駅弁は軒並み売り切れの状態、土産物店も含めて多くは昼までにシャッターを下ろしてしまった。早めの店じまいのために、ほとんど仕入れてなかったのではないか。それでもコンビニ弁当のようなものは手に入る状況だった。人々はパニックというより諦めの表情だった。乗る予定のの新幹線は、定刻通り出発して定刻通り到着した。発車早々に弁当を平らげ、目が覚めたのは静岡を過ぎた辺り。台風の影響か時折強い雨が降っていた。
    なんとなく切ない駆け足の姫路紀行であった。

     

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    姫路
    暫く振りにブログを覗くと、たくさん記事が掲載されいました。emoさんらしい記事ですね。
    姫路のモノレール、ロッキード社製とはね。アルミの軽量車体はさすが航空機メーカーですね。姫路市内の残された橋脚も哀愁を帯びて突っ立っていますね。ビルの中の駅も、昔描いた未来都市みたいで、なかなか良い被写体です。渋谷の銀座線駅や、丸ノ内線後楽園駅みたいです。

    堺のシマノはまたのお楽しみですよね。今度は、大阪に一泊しましょう。
    kincyanさん / 2014/11/17(Mon) /
    Re:姫路
    シマノ自転車博物館は残念でした。でも公共交通機関がストップしちゃあしょうがないっすね。
     (2014/11/17)
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