20141012 姫路市営モノレール
自転車でルートを辿って走り出すとすぐに、桁を撤去された橋脚が目につく。それも建物から煙突のように生えているものがある。実際は橋脚が先に出来、それを取り囲むように建物(商店)が作られたという。桁(多くはコンクリート製)は落下の危険のため撤去されているところが多いので、橋脚だけ空に向かて突き出ている。
◆大將軍駅
その先が唯一あった途中駅の「大將軍」駅跡だ。駅跡というより今でもビルの中に存在している。
駅名の由来はこの地の字名からだという。1・2階が商用施設、3・4階が駅、5-10階が住宅になっている。モノレールの軌道がビルを貫いているという、現代でも斬新で衝撃的な建物だが、姫路駅から450mと近かったために駅としての機能は営業開始後2年間という短命に終わった。ここが姫路モノレールを代表する景観となっていることが何とも皮肉だ。高層部は現在も賃貸住宅になっているが、2015.05以降取り壊すことになっている(実施されるかは不明)。
◆船場川沿いの軌道
大將軍駅を出ると右に90°近く曲がり、船場川と並行して走り、山陽新幹線・JR山陽線と交差する。山陽線はモノレールが上を跨ぐが、新幹線との交差は下をくぐっている。新幹線のほうが後から出来たからとも言われている。実際にモノレールと新幹線が立体交差したのは2年間だけだった。
この辺りは桁も多く残っている。橋脚や桁に蔦が絡まっている部分もあった。船場川付近は立地的な問題から膨大な撤去費用が見込まれるので、なかなか手が出せないと聞く。
◆船場川-手柄山
この区間には軌道の痕跡は見いだせなかった。
◆手柄山駅
モノレールの軌道は船場川を離れた後、市街地から頭をもたげ手柄山の中腹に刺さるように敷設されていた。刺さったところが駅であり、現在車両の展示されている部分である。当時軌道はその先で手柄山を突き抜け、ポイントでスイッチバックして駅の隣に作られた検査区まで延びていた。検査区は現在水族館の一部となっている。
◆手柄山
姫路大博覧会のメイン会場となった場所である。そののこと自体は知らないが、50年近く経った今でも当時の面影をを色濃く残しているのではないか。小高い山で地形を生かして公園になっている。西洋のお城のような景観や展望台などそのまま残っており昭和レトロを楽しめる。展望台は現在回転レストランとなっており一周14分で床が回る。今回は2周・30分ほどかけてお茶などを頂いた。
手柄山から望遠レンズで白鷺城を望む
こちらに向かってくる軌道が見える
◆◆◆
いろいろと調べてみると、ここ10年くらいでかなりの桁が撤去された模様である。これは老朽化のため落下の危険があるので致し方ない。それでもまだ橋脚や一部の桁は残されているが、少しずつ撤去が進んでいるのも事実である。やがて失われていく運命なのであろう。
西からやってくる大型台風に急き立てられるように逃げ帰ってきた。
もう一度訪れる機会はあるのだろうか?
PS.
その晩は姫路を後にして大阪・堺に移動して宿泊した。翌日は昼過ぎの新幹線の指定を取ってあった。シマノの自転車博物館に寄るつもりで、そのための堺泊でもあった。大型の台風19号が迫ってきており、JR西日本は夕方から在来線全線で運転を見合わせるというアナウンスが流れている。自転車博物館は台風のために臨時休館となった。予定を前倒しして早めに百舌鳥から新大阪に向かった。風は強いものの、雨に降られることはなかったが、雲はすごい勢いで流れていた。新大阪駅は多くの人でごった返しており、早い出発時刻への変更もできずに指定を取った列車を待った。楽しみしていた駅弁は軒並み売り切れの状態、土産物店も含めて多くは昼までにシャッターを下ろしてしまった。早めの店じまいのために、ほとんど仕入れてなかったのではないか。それでもコンビニ弁当のようなものは手に入る状況だった。人々はパニックというより諦めの表情だった。乗る予定のの新幹線は、定刻通り出発して定刻通り到着した。発車早々に弁当を平らげ、目が覚めたのは静岡を過ぎた辺り。台風の影響か時折強い雨が降っていた。
なんとなく切ない駆け足の姫路紀行であった。